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自然葬・樹木葬・永代供養は東京都台東区の曹洞宗梅林寺

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大切な方をいつまでも・・・ 永代供養・水子供養・墓地の梅林寺

東京 三ノ輪駅より徒歩一分「永代供養墓」

自然葬・樹木葬・永代供養の寺、梅林寺は、東京は台東区の三ノ輪にある、曹洞宗のお寺です。東京メトロ(地下鉄)日比谷線三ノ輪駅より 徒歩1分の、とても便利な場所にございます。

永代供養墓「やすらぎ」、個別スペースを設けた「永代供養つき個別墓」、一般のお墓に永代供養をおつけした「永代供養つき自由墓地」など、ご家族で入ることはもちろん、後継者がいない方でもお寺が責任を持って、永代にご供養いたします。

また、最近注目される新しい埋葬「自然葬・樹木葬」にも対応いたします。最期は自然に還る、そんな日本人の伝統的な価値観を梅林寺は大切にいたします。どうぞ安心しておまかせください。

自然葬・樹木葬についてはこちら

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梅林寺縁起

開山(初代住職)は、本寺、現在の茨城県石岡市宇治会源照寺の第二世、天室修悦大和尚で、天外栄呑和尚と言う人の開基によって創立しました。
栄呑和尚は出生も亡くなった日も不明ですが、開山修悦和尚の亡くなったのが文禄2年2月20日ですので、おおよそ天正(1573年~1593年)或いは文禄年(1593年~1596年)中に開創されたことになります。 これは今より四百数十年ほど前、後陽成天皇の御代で豊臣秀吉が伏見城を築いた頃にあたります。
初めは 東京 南千住小塚原の辺りに在って、龍源寺と称していました。
萬治年中、徳川将軍家綱の頃、伊勢亀山藩主石川主殿頭忠總の息子、甚十郎邦總と言われる人が幕府の中奥藩士、御膳番等を勤めておられたが、病のため公仕を辞し、箕輪の里の下屋敷に閑居されました。
邦總の臣に後述の天満宮由来にある里見家家臣の子孫、平井八兵衛長次と言う人があり、主君の病悩平癒武運長久祈願のために、小塚原の裏地、天神山に祀ってあった綱敷天神尊像と共に、現在の箕輪(三ノ輪)へ移転して、華嶽山梅林寺と改めて建立したと伝えられております。

綱敷天満宮由来

菅原道真公の師、比叡山法性坊尊意亜砂利の作と伝えられ、代々下総國府台の城主、里見家の鎮守神としてその城中に祀ってあったが、慶長十九年六月、里見家没落の際、その臣甲坂和泉長経という人、霊夢によって天神像に供奉し、下総平井村(江戸川区平井)に棲居して性も平井と改めました。

尊意阿闍梨(そんいあじゃり)

貞観八年(866年)~天慶三年(940年)
平安時代中期の天台宗の僧。京都の出身。
鴨川東の吉田寺で地獄絵を見て発心し、初め栂尾寺の賢一、ついで比叡山極楽寺の増全に師事して天台教学を学んだとされています。
また、玄昭から密教の法を受け、円珍から菩薩戒を受けました。924年(延長四年)には天台座主に任じられました。仏頂尊勝法・不動法の修法を得意とする験者として知られ、平将門の乱(承平の乱)における調伏にも霊験があったと伝えられています。
晩年には大僧都に至り、没後、僧正法印位を追贈されました。