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東京 永代供養・水子供養・墓地の梅林寺|三ノ輪駅から徒歩1分

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2020.01.17

曹洞宗家庭信条その⑤

自らを信じ今をつとめようみ法(のり)こそわれらの依るべ

現代は世の中が複雑化し、生きてゆく条件が厳しくなりつつあります。
人々は内面で自信を失い、果ては絶望にまで追いやられる。
抑うつ症状、青少年の自殺、一家心中等々はそれを物語っています。
この時代に何をよりどころにして生きていったらよいのか。
ここに釈尊最後の説法を思い起こしたいと思います。
偉大なるよりどころを失わんとして、憂いに沈む弟子達に向かってこう言われました。
「自分自身を灯明とし、よりどころとするがよい。法を灯明としてよりどころにするがよい。他の者にたよってはいけない。」
いわゆる自灯明、法灯明の遺訓です。
道元禅師は「仏道を信ずる者はまず自己を信ずべし」といわれ、瑩山禅師は「人々これ道器」と説かれました。
自己を信ずるとは、傲慢になったり自信過剰になったりする事ではなく、自己に潜む生命力や運命を切り開く無限の本性を信じ、よりどころとする事です。
それでもなお、おぼつかない我らの足下を照らしてくれるものは、法の灯明であり聖者の語られた真理の灯明なのです。
いたずらに思案の淵にたたずむのを止めましょう。
迷いの現実こそきっかけとして、今こそ眼前の義務を果たし、前を向いて今日のお努めに専念しましょう。

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2020.01.13

曹洞宗家庭信条その④

苦楽を分かち共に歩もう菩薩の願いをわが心に

人をれぞれ他の者が気づかない悩みや苦しみを持っているものです。
それを話し合おうともせず自分に籠もりがちな人に、家庭内では常に話しかけ、話を聞いてあげる雰囲気を作り、わだかまりがあれば取り除くのに手を貸してあげる心配りが欲しいです。
またこれは苦しみだけでなく、喜びも共に喜んで分かち合いたいです。
「喜びは一緒に喜ぶとき倍加し、悲しみは一緒に悲しむとき半減する」と言います。
現代の家庭では、核家族、個室主義、ばらばらの食事等々、ますます話し合いの時間が少なくなっている様に思います。
努めて積極的に心の交流の時間を作る様にしたいです。
観音菩薩や地蔵菩薩は常に衆生の苦しみを観ていて下さり、暖かい慈悲の心で励まして下さると言われております。
菩薩の心を我が胸に抱いてそのお徳にあやかる様努力する、この時こそ願いの心は家庭内にとどまらず、広く接する人びとに潤いをもたらすと思います。

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2020.01.06

曹洞宗家庭信条その③

敬う気持ちを大事にしよう人はみな仏の子

近年は校内暴力の事があまりマスコミで伝えられなくなりましたが、知人の先生が生徒の暴力でけがをしたり、教育に行き詰まって精神カウンセラーのお世話になったり、今でもかなりあるようです。
また家庭内暴力も無くなる事はないようです。いずれの暴力も自らの生きる方向を見失った若者達の精神的混乱から生じたものなのだと思います。
暴力をもって人に対する事の背後には、他人の生命の尊さを畏れ敬う心の欠如があると思います。
親を敬い師を敬うという気持ちは、今日の子供達には少し縁遠くなっているようです。
弱いもの、小さいものをいたわる思いもまた同じです。
世の大人が子供達に教える事のなかった「咎(トガ)」ではないでしょうか。
家庭における躾を通しての豊かな精神教育こそ大切なのだと思います。
洋の東西を問わず、教育の根幹には、師や目上の人に対して礼儀を守り、父母を敬愛する心の養成がうたわれております。
我が国の場合、戦後の混乱のさなかに永遠に養われるべき美徳すら封建的というレッテルが貼られ捨てられました。
諸外国は、今でも日曜礼拝や食前の祈りの様に、生活にとけ込んだ形で宗教が生きている家庭は多いようです。
かつては我が国でも、毎朝神棚や仏壇にお参りし、合掌して食事を頂く様、親が子供に躾けました。
神仏に対する敬虔な作法によって、尊ぶべきものを尊ぶ敬虔な情操が養われていったのです。
仏陀釈尊の教えは「人はみな仏の子」の人間観に貫かれております。
人は互いに相手を敬い愛する心情がこの教えだと思います。

 

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2020.01.05

曹洞宗家庭信条その②

人に求めず自分を変えよう、すべて我が身の一歩から

人間は他の人と関係なしに一人では生きられません。そこで人間関係のあり方を真剣に考えなければならないと思います。
親が子の為と思って進学や進路を色々考えても、子は子で自分の考えを推し通そうとして、親の気持ちを汲もうとはしない。
親子だけでなく、夫婦の間も職場の人間関係も又同様です。
そこに生ずるものは、不信、憎悪、反抗心。
こうした断絶を打開する為には、相手にばかり求めず、自身の態度を切り替え、反省して出直した時に、はじめて互いに相手の心に触れ、お互いに理解し合えるのではないでしょうか。
「浄信一現する時自他同じく転ぜらるるなり」修証義の一節です。
すべて我が身の一歩から、禅の「却下照顧」は現代の人間関係の改善にこそ生かすべきと思います。

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2019.11.24

曹洞宗家庭信条その①

無常に耐えて強く生きよう、二度とない今日の生命

人の世を無常と見るのは、昔から人びとにゆき渡っている感情ですが、家族の不幸とか倒産 、借金、病気、大事故等々、おそってくる不幸に耐え乗り越えるには、家族、心を合わせ現実の変転に屈せず強く生きてゆく事を念ずるほかにはありません。
しかし自然の草木が寒暑を忍び、やがて花を開き実を結ばんとする様に、人間も変化し流動する無常の姿こそ、生命の本来の姿だと思います。
これを自覚するのであれば、人身の与えられた生命の重さを思い、尊さを改めて感じられるのではないでしょうか。
どんな苦難にあおうとも、生命の開花結実を目指し、各々の人生の実現に打ち込む事こそ、目標だと思います。
家庭はその温床であり、家族が互いに支え合って無常の自覚の中から、個々の貴重な人生を実らせる様、立ち向かうエネルギーを得る場にしたいです。
二度とない今日の生命、この切実感を持って日々を大切に過ごしたいものです。