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東京 永代供養・水子供養・墓地の梅林寺|三ノ輪駅から徒歩1分

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2020.04.27

五観の偈その③

三つには心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす
食事を頂くに当たり、欲を押さえて必要な量を適切に頂くと言う教えです。普段の生活で美味しいが出されれば、ついつい食べ過ぎてしまい、ほどほどの物が出されれば、もっと美味しい物への欲求が深まり、嫌いな物が出されればよけてしまいがちになります。これらは『赴粥飯法』の中で、「貪」「瞋」「痴」と記されています。「貧」は食欲、むさぼる事。
「瞋」は瞋恚(しんに)怒り憎む事。「痴」は愚痴、物の道理を分からぬ愚かさの事。これらを仏教では悟りをさまたげる、三悪としています。これらを取り除くのが仏道修行の形態だと思います。

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2020.02.21

五観の偈その②

二つには己が徳行の全欠を忖(はかって供に応ず
自身がその食事を頂くに当たり、本当にその食事に見合っているのかの自問自答です。
よく、働かざる者、食うべからずと言う、ことわざがありますが、まさに言葉の通りで、働くというのは、肉体労働のみの言葉ではなく、自身の日頃の行いにどれだけ徳を積んでいるのかを指し、その徳の量とその食事が見合っているかを指します。

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2020.02.09

五観の偈その①

五つの偈文から構成されており、禅の修行僧が食事を受ける際に心の中に想念する反省と感謝の意を含む偈文です。

一つには功の多少を計り彼の来処を量る
私たちがこの食事を頂くに当たり、たくさんの人々の手が掛かっていることに感謝しながら頂きます。単純に出された食事のことを指すのではなく、その食材を作って頂いた農家の方々や、その食材を育てた大地自然への感謝と考える物であります。

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2020.01.17

曹洞宗家庭信条その⑤

自らを信じ今をつとめようみ法(のり)こそわれらの依るべ

現代は世の中が複雑化し、生きてゆく条件が厳しくなりつつあります。
人々は内面で自信を失い、果ては絶望にまで追いやられる。
抑うつ症状、青少年の自殺、一家心中等々はそれを物語っています。
この時代に何をよりどころにして生きていったらよいのか。
ここに釈尊最後の説法を思い起こしたいと思います。
偉大なるよりどころを失わんとして、憂いに沈む弟子達に向かってこう言われました。
「自分自身を灯明とし、よりどころとするがよい。法を灯明としてよりどころにするがよい。他の者にたよってはいけない。」
いわゆる自灯明、法灯明の遺訓です。
道元禅師は「仏道を信ずる者はまず自己を信ずべし」といわれ、瑩山禅師は「人々これ道器」と説かれました。
自己を信ずるとは、傲慢になったり自信過剰になったりする事ではなく、自己に潜む生命力や運命を切り開く無限の本性を信じ、よりどころとする事です。
それでもなお、おぼつかない我らの足下を照らしてくれるものは、法の灯明であり聖者の語られた真理の灯明なのです。
いたずらに思案の淵にたたずむのを止めましょう。
迷いの現実こそきっかけとして、今こそ眼前の義務を果たし、前を向いて今日のお努めに専念しましょう。

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2020.01.13

曹洞宗家庭信条その④

苦楽を分かち共に歩もう菩薩の願いをわが心に

人をれぞれ他の者が気づかない悩みや苦しみを持っているものです。
それを話し合おうともせず自分に籠もりがちな人に、家庭内では常に話しかけ、話を聞いてあげる雰囲気を作り、わだかまりがあれば取り除くのに手を貸してあげる心配りが欲しいです。
またこれは苦しみだけでなく、喜びも共に喜んで分かち合いたいです。
「喜びは一緒に喜ぶとき倍加し、悲しみは一緒に悲しむとき半減する」と言います。
現代の家庭では、核家族、個室主義、ばらばらの食事等々、ますます話し合いの時間が少なくなっている様に思います。
努めて積極的に心の交流の時間を作る様にしたいです。
観音菩薩や地蔵菩薩は常に衆生の苦しみを観ていて下さり、暖かい慈悲の心で励まして下さると言われております。
菩薩の心を我が胸に抱いてそのお徳にあやかる様努力する、この時こそ願いの心は家庭内にとどまらず、広く接する人びとに潤いをもたらすと思います。